宜野湾の大学生の秘密

ベンチでホットコーヒーを飲みながら楽しそうに話すカップル

夜のキャンパス

 夜の宜野湾キャンパスは静かだった。普天間基地からの飛行機も飛ばない。昼間の騒音が嘘のように共通棟の明かりはまばらで、街灯だけが淡い光を投げかけていた。あかりは図書館の裏手にあるベンチに腰を下ろし拓也を待っていた。沖縄にしては冷たい秋風が頬を撫でる。

 拓也との関係は気軽なものだった。大学2年の春、試験勉強のストレスとフットサルサークルの人間関係に疲れ果てたあかりが、ふとしたきっかけで拓也に愚痴をこぼしたのが始まりだった。幼馴染の彼は、昔から変わらない軽い調子で「ストレス発散なら俺でいいやんに?」と言った。それが冗談でなかったことは、その夜、彼のアパートで証明された。

 以来、二人はセフレという曖昧な関係を続けていた。ルールはシンプル。恋愛感情はなし。お互いに干渉しない。ただ、体の欲求と心の隙間を埋めるためだけの関係。なのに最近、あかりは揺れていた。

「遅い.. 」

あかりはスマホを手に取りLINEを確認した。既読のまま返信はない。ため息をつき空を見上げると、星がちらりと見えた。キャンパスのこの一角は、通りの明かりから少し離れていて、星がよく見える。拓也と初めてここで夜を過ごした時、彼が「星ってなんか落ち着かない?」と言ったのを思い出す。あの時はただ笑って流したけど、今はその言葉が妙に胸に刺さる。

 足音が聞こえて、あかりは顔を上げた。拓也がゆるい笑顔で近づいてくる。パーカーにジーンズ、いつも通りのラフな格好。なのになぜか今夜は彼の姿がいつもより鮮明に目に映った。

「遅刻!」とあかりが言うと拓也は肩をすくめた。
「ごめん、サークルの打ち合わせが長引いてさ」
彼はベンチにどっかりと座り、缶コーヒーを差し出した。
「はい、お詫び」

 あかりはそれを受け取り、プルタブを開けた。冷えた缶が手に沁みる。
「サークル、忙しいの?」
「まぁね。新入生の子がうるさくてさ。やたら絡んでくるんだよね」
拓也の軽い口調に、あかりの胸がちくりと痛んだ。「絡んでくる」。頭に浮かんだのは、昼間、拓也が学食で誰かと笑い合っていた姿だった。ショートカットの明るい雰囲気の子。名前は知らないけど、なぜかその笑顔が脳裏に焼き付いている。

「へえ、モテるじゃん」
あかりはわざと軽く言った。拓也は気づかないふりをして、コーヒーを飲み干した。

「で、今日はどうする? いつもの?」
彼の目が暗闇の中で光る。あかりは一瞬、言葉に詰まった。いつもの。拓也のアパートで明かりを消して、ただ互いの体温を感じ合う時間。それで十分だったはずなのに、今夜は何か違うものが胸の中で蠢いていた。

「うん、いいよ」
それでもあかりは頷いた。考えるのをやめたかった。この関係を壊したくなかった。

揺れる心

 拓也のアパートは、キャンパスから歩いて10分ほどの古いマンションだった。部屋は狭く、散らかった本や服が大学生らしい無秩序さを漂わせていた。あかりは慣れた手つきで靴を脱ぎ、ベッドに腰掛けた。拓也は冷蔵庫からビールを取り出し、彼女に一本渡した。

「試験、どうだった?」
拓也がベッドの端に座りながら尋ねる。あかりはビールを一口飲んで、肩をすくめた。
「まぁ、なんとか。拓也は?」
「ギリギリ合格ってとこかな。頭悪いからさ」
彼の自嘲的な笑いに、あかりもつられて笑った。でも、すぐにその笑顔が消えた。昼間の光景がまた頭をよぎった。あの子は、拓也のこんな笑顔を見ているのだろうか。

「ねぇ、拓也」
あかりは思わず口を開いていた。「今日、学食で女の人と話してたよね。あれ、誰?」
言葉が出た瞬間、後悔した。ルール違反だ。互いのプライベートには干渉しない。それなのに、拓也の顔が一瞬、驚いたように固まった。

「え、誰って…ああ、サークルの後輩だよ。なんで?」
「別に、ただ気になっただけ」
あかりは慌ててビールを飲み、誤魔化した。拓也は少し探るような目で彼女を見たが、何も言わずにビールを置いた。そして、ゆっくりと彼女に近づいてきた。

「気になる?」
拓也の声が低くなる。彼の手があかりの頬に触れ、冷たい指先が彼女の肌を滑った。あかりの心臓が跳ねる。この感覚は慣れているはずなのに、今夜はなぜか息が詰まる。

「拓也、待って」
あかりは彼の手をそっと押しのけた。拓也が眉を上げる。
「ごめん、気分じゃない?」
「ううん、そうじゃないんだけど…」
言葉が続かない。あかりは自分の気持ちがわからない。拓也の顔を見ると、胸が締め付けられるのに、言葉にできない何かがあった。

「なんか、変だね、あかり」
拓也は笑ってごまかしたが、彼の目にはどこか真剣な光があった。あかりは目を逸らし、ビールの缶を握り潰すように力を入れた。

「拓也はさ、この関係、どう思ってる?」
ついに聞いてしまった。あかりの声は小さく、震えていた。拓也は一瞬黙り、ベッドのシーツを指でなぞった。

「どうって…気楽でいいじゃん。ストレス発散できて、お互い楽しくて」
「それだけ?」
あかりの声が鋭くなる。拓也は少し驚いたように彼女を見た。
「それだけって、何だよ。あかり、なんか変じゃない? いつも通りでいいでしょ?」

 いつも通り。あかりはその言葉に苛立ちを覚えた。いつも通りでいいはずなのに、なぜか今はその言葉が冷たく響いた。彼女は立ち上がり、窓の外を見た。夜の街は静かで、遠くの車のライトが小さく揺れていた。

「私、帰る」
「待って!どうしたの?急に」
拓也が立ち上がって彼女の腕をつかむ。あかりは振り返り、彼の目を見た。そこには困惑と、ほんの少しの不安があった。

「私、わかんない。わかんなくなってきた」
あかりはそれだけ言うと、拓也の手を振りほどき、部屋を出た。冷たい夜風が彼女を包み、胸のざわめきを少しだけ落ち着かせた。

無視できない気持ち

 翌日、キャンパスはいつも通りの喧騒に満ちていた。あかりは講義の合間に学食でコーヒーを飲みながら、昨夜のことを考えていた。拓也にLINEを送ろうと何度もスマホを手に取るも、結局送ることはできなかった。

 昼過ぎ、サークルの部室で拓也を見かけた。例のショートカットの子とまた話している。彼女の笑顔は無邪気で、拓也も楽しそうに笑っていた。あかりの胸が締め付けられる。嫉妬だ。自分でも驚くほどはっきりとした感情だった。

 ルール無用の関係のはずなのに。拓也が他の誰かと親しげにしていても、気にする必要はないはずなのに。あかりは自分の心が制御できないことに苛立った。

 その夜、あかりは再び図書館の裏のベンチで拓也を待っていた。今夜はちゃんと話そう。自分の気持ちを整理して、はっきりさせよう。そう決めて、彼を呼び出したのだ。

 拓也は少し遅れて現れた。いつものパーカーに、どこか疲れた表情。
「昨日、急に帰っちゃって…大丈夫だった?」
彼の声は柔らかかったが、あかりは目を逸らした。
「拓也、私…もうやめたい…」
言葉が空気を切り裂く。拓也の目が見開く。
「え、どうしたの? やめるって何を?」
拓也は気付かないふりをするのが精いっぱいだった。
「何をって分かるでしょ」
あかりの目には涙が浮かんでいた。
「う、うん…。でもごめん、俺なんか、悪いことした?」
「違う…拓也のせいじゃない。私が…私が、拓也のこと…好きになっちゃったみたい…」
あかりの頬に大粒の涙が流れる。

 沈黙が流れた。拓也は言葉を探すように口を開き、閉じた。あかりは自分の鼓動がうるさいほどに聞こえた。

「好きって…マジで?」
拓也の声は小さく、どこか戸惑っていた。あかりは頷き、目を上げた。
「うん。自分でもびっくりしてる。こんなはずじゃなかったのに。拓也が他の子と話してるの見て、なんか…胸が苦しくて。ごめんね、こんなの、ルール違反だよね」

 拓也はしばらく黙っていた。やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「正直、俺も最近、なんか変だった。あかりと過ごす時間、ただのストレス発散じゃなくなってた。けど、怖かったんだ。こんな関係、壊したら、全部終わるんじゃないかって」

 あかりの目が潤む。彼も同じことを感じていた。友情と恋の境界で揺れていたのは、自分だけじゃなかった。

「じゃあ、どうする?」
あかりの声は震えていた。拓也は一歩近づき、彼女の手を握った。
「わかんない…」

 夜のキャンパスに、星の光が静かに降り注いでいた。二人は手を繋いだまま、温かさを分け合った。

最後の夜

 数日後、あかりと拓也は再び図書館の裏のベンチで向き合っていた。互いの気持ちを認めた日から、二人は何度も話し合った。恋愛に踏み出す勇気、お互いの未来、そして今までの関係。どれも簡単には答えが出なかった。

「拓也、私たち、別れた方がいいよね」
あかりの声は静かだったが、決意に満ちていた。拓也は目を伏せ、ゆっくり頷いた。
「そうだね、俺たち、友達としての方が自然かもね。恋愛って…なんか、違う気がする」

 胸が締め付けられるような痛みがあった。でも、あかりはそれが正しい選択だと感じていた。ルール無用の関係は、結局、二人を縛っていた。友情を壊さず、でもこの曖昧な関係を終わらせる。それが今、必要なことだった。

「でもさ、最後に…」
拓也が口を開き、言葉を濁した。あかりは彼の目を見た。そこには、懐かしさと、ほんの少しの欲が混ざっていた。彼女は小さく笑った。
「うん、最後に、ね」

 二人は拓也のアパートに向かった。部屋に入ると、いつものように明かりを落とし、静かな空気が流れた。あかりは拓也の胸にそっと手を置いた。彼の心臓の鼓動が、彼女の指先に伝わる。

「拓也、ありがとう。こんな関係でも、楽しかったよ」
あかりの声は囁くようだった。拓也は答えず、彼女の頬に触れ、ゆっくりと唇を重ねた。柔らかく、熱いキス。いつもより深く、どこか切ない。

 二人の手は互いの服を滑り、肌に触れる。拓也の指があかりの背中をなぞり、彼女の吐息が漏れた。いつも通りの動きなのに、今夜は全てが鮮やかに感じられた。あかりは拓也の首に腕を回し、彼の熱を全身で受け止めた。

 柔らかく真っ白なベッドの上で、二人は互いを求め合った。拓也の唇があかりの首筋を滑り、彼女の肌が熱くなる。彼の手が彼女の腰を強く掴み、あかりは彼の背中をぎゅっと抱きしめた。息が重なり、互いのリズムが一つになる。

「あかり…」
拓也の声が低く響く。あかりは目を閉じ、彼の動きに身を委ねた。熱と快感が波のように押し寄せ、拓也の動きが加速する。やがて、頂点が近づく。あかりの体が震え、拓也の息が荒くなる。二人は同時に達し、互いの名を呼び合った。

 その瞬間、あかりの目から涙が溢れた。快感の中に、切なさと愛おしさが混じる。拓也はあかりを抱きしめ、涙を優しく拭った。
「今までありがとう」
彼の声は優しかった。あかりは小さく笑い、彼の胸に顔をうずめる。

「これで…終わりだね」
「うん…でも、友達としては、ずっと一緒だよね?」

 二人は強く抱き合ったまま、夜の静寂に身を委ねた。